2.黎明期

黎明期

%e6%a7%8d%e3%83%b6%e5%b2%b3設立当初にご苦労されたことは?

振り返ると、朝日新聞に井上靖が「氷壁」を連載したのが昭和31年。その頃から第1次登山ブームが始まりました。そして、昭和35~6年頃は岳連の加盟団体が雨後の筍のように出来ていた時代がありました。現在残っているクラブでも広島山稜会、可部山岳会などは、パイオニア(ユースホステルクラブ時代)と同じように、その頃設立されました。とにかく3人寄れば山岳会と言われていた時代だったので、出来てはすぐに無くなる会も多かったですね。当時はマイカーなどない時代でしたから、バスセンターや広島駅は日曜日になると県内の山に行くバスに乗る人達が行列を作っていたのを覚えています。もちろんバスは超満員でね。そのくらい登山ブームと言うのはすごかったですね。

そして、私たちの年代が中心になった頃は、そんなブームも去り、メンバーも結婚、子育てや家庭の事情で一人去り、二人去りとしていきました。そんな中、会を存続させるには誰かがバカになってやらなければと奮闘しましたね。考えてみれば、子供の運動会とか学芸会には一度も行ったことが無い。(笑)

やはり苦労したと言えば、うちの会には先輩がいないので、最初は誰にも教わることができなかったことでしょうか。技術的なことなどは、ビレイをするための支点の作り方ひとつ取っても分からない。当時は資料とかも無いですしね。仕方ないんで自分なりに勉強しました。そして岳連の講習や行事には良く参加して、色んな方と交流して学ばせていただきました。逆に岳連の山田さん(現理事長)には烏帽子岩山まで来ていただいて、講師をしてもらったことなんかもありました。

だからというわけでもないですが、昭和35年に会は出来ましたけど、北アルプスに初めて行ったのは6年後の昭和41年だったと思います。上高地から槍沢を通り、槍ヶ岳へ。何もかも新鮮でした。特に最初に河童橋から見た風景は忘れられないですね。そして、それからは毎年秋にはアルプスに行くようになりました。

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